丸山: 水島さんはオートバイで世界中を旅したということですが、どのようなきっかけからだったんですか?
水島: 子供の頃に親父から世界各地の様子をよく聞かされ、いずれは世界を周ってみたいと思っていたのが、1つのきっかけです。現役時代にホンダに勤めていて、原付バイクを活用して子どもたちに野外教育をするプロジェクトを立ち上げたことがあって、参加した子どもたちは夢中でバイクに乗り、風や香りを感じているのを経験しました。この体験から、オートバイに乗り「世界の子どもたちの姿を見て周りたい」と思ったのも1つの動機になっています。
丸山: そして、お仕事を辞められてからすぐに、旅に出ることになったのですね?

「5大陸行」横・縦走の足跡
水島: はい。最初は「ユーラシア大陸」横断行でした。2002年6月26日に日本を出発し、船でウラジオストックへ渡りました。ウラジオストックからはオートバイでシベリアを横断し、ウラル山脈を越え、モスクワから以後ヨーロッパを南に下り、ポルトガル・ロカ岬に辿り着きました。
丸山: とても大変な旅だったでしょうね。
水島: はい、かかった日数は51日間で、大陸最西端のロカ岬についた時には本当に本当にほっとしました。でも、その後の旅のことを思うと、まだまだ平穏な旅だったのかも知れません。
丸山: その次はどちらを旅されたのですか?
水島: 1年後の2003年5月8日、「オーストラリア大陸」一周行に旅立ちました。このときには、西オーストラリア州の州都パースに家がありまして、そこから出発して右回りに大陸を一周しました。正味91日でしたが、骨折の治療などを含めて178日かかりました。
丸山: それは大変でしたね。
水島: それ以上に大変だったのが、アウトバック(砂漠のこと)での食べ物でした。アウトバックに入る前に、原住民のアポリジニに砂漠での過ごし方を聞きました。そして食べるものが確保できない時には、雑草を食み、アリの蜜を吸って過ごしたのです。パースの家に戻った時には体重が15キロも減っていました。
丸山: とても信じられないような体験をなさっているのですね。それでもまだお出掛けになったのですね。
水島: はい。さらに翌年、「北米大陸」「南米大陸」縦断行を行いました。私がオーストラリアで15キロも痩せて、妻の安子が私の健康を心配してこの時から同行するようになりました。
丸山: えっ、奥さまもご一緒にですか! オートバイ2人旅になったわけですね。
水島: はい。このときは、2004年7月24日、カナダ・バンクーバーを出発。一度、北端のドーソンシティまで行き、ここを始点として南下しました。アメリカ合衆国、メキシコ、中南米の諸国を経て、最南端のアルゼンチン・ウシュアイアまで縦走し、最後はチリ・サンチアゴまで引き返してから帰国しました。要した日数は568日(約1年7ヶ月)、本当に長い旅になっていました。
丸山: この旅でも何か危険な目に合われたのでしょうか?
水島: ネバダ山脈では肋骨2本を骨折しました。治療のしようもないのでそのままサンフランシスコからロサンゼルスを経てアナハイムまで走り、ここで休みを取って治しました。
メキシコでは、偽軍隊に止められそうになって、直前に行って全力でアクセルをふかし、ジグザグを切って逃げましたが、運よく銃撃を避けることができました。本当に怖かったです。
丸山: (沈黙)
水島: もちろん楽しかったこともたくさんあります。ガラパゴスの島々を巡ったり、ナスカ、クスコ、マチュピチュなど日本人憧れの地を訪れました。アマゾン源流探検、赤道線上に立った時のことも思い出深いです。イグアスの滝にも感動しました。
もっとも、安子は、リマの大統領府のある路上で7人組の強盗に襲われ、持ちものを剥ぎ取られる目に遭いましたし、クスコからマチュピチュに向かう際には高山病になってしまい大変でした。
丸山: う〜ん、やっぱり大変なことのほうが多かったのでしょうかね。
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