会社を辞めて暇になったら晴耕雨読のくらしをしたいと、若い頃から考えていました。退職後5年が経ちますが、果たしてその念願に近づくことができたのか否か、わが身を検証してみようと思います。
晴耕雨読とは、手元の故事ことわざ辞典によると、『晴れた日は畑を耕し、雨の日には家で読書を楽しむように、生業に就かずのんびりとした生活を送ることから、世間のわずらわしさから離れて、悠々自適のくらしを送ることのたとえ。体を使って汗を流せる喜びと、頭を使える楽しみは、人間にとって理想の生活である。』とあります。
畑は、週に2回、耕しています。今のような梅雨時などは、晴れた日ばかりとはいきませんが、トコトコ農園の定例作業日が週に1回、京野菜作りの実験農場『粋京』グループの作業が1回、都合2回ですから、まずまず及第点でしょう。
尤も、文字通りに畑を耕しているわけではなく、雑草取りのほうが圧倒的に多かったり、休憩している時間が長かったりはします。しかし、これも『耕す』という言葉を『額に汗して農作業に従事する』と捉えれば、許されることなのでしょう。
一方、読書はお天気に関わらずほとんどできていません。若い頃には読書をしたものですが、また、定年後も続けるつもりでいましたが、眼が悪くなってきて定期的に眼科通いをするようになってからは、細かい文字を追うのは辛いことです。『少年老い易く学成り難し』ということわざは、肉体的老化まで見通した箴言だったのでしょうか。
それでも何もしていないわけではありません。私の雨読に相当するものは、スペイン語の学習です。これは50歳に近づいた頃に始めたもので、かれこれ15年ほど続けています。
スペイン語といっても馴染みのない方が多く、なぜスペイン語を?と思われる方が少なくないでしょうが、私の場合の動機は老化防止策でしたので、イタリア語であってもフランス語であっても何でもよかったのです。
スペイン語を始めてみると、いろいろなことが分かってきました。世界で約4億2千万人の人々によって日常的に話されており、スペイン語を公用語としている国と地域の数は20以上で、英語、中国語に次ぐ世界で第三の言語です。最近では、アメリカ合衆国の家庭の12%で使われているとのことで、英語の80%に次ぐ第二の言語となっているのは驚くべき事実です。その割合は今なお増加しています。
外国語を勉強すると、自然にその国の文化や歴史にも興味が湧いてくるものです。スペイン語は、イタリア語やフランス語と同じく、口語のラテン語が方言化したものです。歴史的な言語形成には、古代ローマ帝国の版図拡大やイスラムからのレコンキスタ(国土回復運動)が大きく関わっています。
話が少々脱線しましたが、目下の私の雨読対象は『ハリーポッター』全巻をスペイン語で読むというものです。7巻シリーズの6巻目に入りました。おそらく全部で5000ページはあるでしょう。全部読みきるのは大変な脳作業です。
遅々として蝸牛の如しですが、幸いなことに、この物語は大人が読んでも大変面白く、原作には映画のような分かり難さがほとんどありません。佳境に入ると、スペイン語で読んでいることを忘れて読み続けてしまうこともあります。この本を選んでよかったと思っています。
NHKで放映中の『情熱のシーラ』の原作も早速買ってみました。これもそう簡単に読める分量ではありませんが、いつか原書を読む機会があるかも知れません。
今はテレビの2ヶ国語放送で楽しんでいます。会話は聞き取れませんが、主人公のシーラは標準的なスペイン語、下宿の女将カンデラリアはアンダルシア方言、モロッコ人の小間使いハミーラは文法メチャクチャ、などが分かって、ひとり悦に入っています。
(番組を見ていない方には分からない話で申しわけありません。ここを見てくださいね。)
さて、晴耕雨読という言葉は、三国時代の宰相・諸葛孔明が若い頃(20代)に理想として実践した生き方でした。彼は劉備に三顧の礼で迎えられ、晴耕雨読のくらしを捨てたわけですから、この言葉の本来の意味は、シニアの悠々自適とは全く異なる次元のものだったようです。
現在の現役世代に晴耕雨読は許されないし、許されるのは退職後のシニアに限られるのかもしれません。シニアのほうが有利なところはあるものの、老若男女を問わず、体を使って汗を流せる喜びと、頭を使える楽しみを目標にしてみるのはひとつの立派な人生観のように思います。
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