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トコトコ農園通信

2014年8月20日 更新

私の人生の中の食について考える

白吉 信明

伊豆の韮山村(現在の伊豆の国市)という田舎の貧乏寺に生まれ、20才まで「お寺の下のおぼっちゃん」と呼ばれていました。

自給自足の生活で、広い境内にはサツマイモ、米、豆類なんかを作っていたと記憶しています。

寺の掃除や農作業の毎日は大変だった筈なのに、楽しい思い出しかないのが不思議です。檀家さんもお百姓さんがほとんどで、皆、絵に描いたような貧乏。

盆正月に上がる仏様への供物に金目のものは無し。

何十個と上がる鏡餅の青カビ赤カビをこそげ取って食べ、お米に至っては、棺桶のような米びつの中には、コクゾウムシが蜘蛛の巣のような巣を作り、お米を研ぐというより米と同じ形の幼虫を取り除く作業でした。

すえた臭いのするご飯の幼虫を箸でつまみ出しながら食べる毎日。

当然おやつという概念すら無いから、野山や畑で取ったアケビ、桑の実、木イチゴ、グミ、イチジク、ザクロ、スカンポ、ボタンキョウなんかがおやつ代わり。


そんな生活が一変することになります。

近くの檀家さんが用水用にと井戸を掘ったらあふれんばかりの温泉が。(元々温泉地帯ですから奇跡ではないんです)

それをお寺の境内に引き込み、誰でも利用できる湯殿が出来、遠くからわざわざ来る人のために宿坊(お寺の宿泊施設)が出来、口コミでだんだん宿泊客が増え、増築しても泊まり切れないお客さんが本堂や庫裏にあふれてくることも。

と、そこまでは良かったんですが、大きく成り過ぎて経営が護持会という組織にゆだねられ、その組織の会長が金を持ち逃げしてあっけなく倒産。

何千万円もの負債を抱えて借金取りから追われる日々が続き、危うく家族がお寺から追われそうになる危機も。

生活は前にも増して極貧状態に。

おかずを買う金さえなく、わずかに上がった賽銭箱の賽銭が頼りの生活が続きました。


話しは変わりますが、人間の味覚、臭覚とは不思議ですね。

舌や鼻がちゃんと覚えていて、食べた物の味や臭いがふっと大昔の記憶の糸をたぐり寄せたり、昔の味や臭いにこだわったり。

それがトコトコ農園にはあるんですね。

土の臭い、草いきれ、スッと顔をなでる風の臭い、青臭いキューリ、トマト特有の味と青臭い香り、農園で食べるスイカの甘い香り(もっとも昔のスイカは、あんまり甘くなくて砂糖をぶっかけてかぶりついたんですが)、汗だくの合間に飲む飲み物の美味しいこと。


自分の人生の中で、ほんとに美味しいと思ったのは地球の反対側まで行って集めたような高級食材なんかじゃない。

テレビでやっているうまい物比べみたいな、ワンパターンのコメント付きの食材なんて全然美味しそうには思えない。

子供の頃、狩野川台風で被災し、慰問袋の中にあって初めて食べた食パンの味。

高校の応援団で学ランを着て大きな声を張り上げた後の打っ欠き氷(ヤカンに入れたただの氷水)の甘い味。

柔道部のおっかない指導の先生が振る舞ってくれ、むしゃぶりついたスイカの喉ごし。

恒例の山狩りで大量に炊き出した炊き込みご飯のおにぎりの味。

お袋が時々作ってくれた重曹入りの田舎まんじゅう。

それが私の記憶の中にある本当に美味しかったものです。


それにしても日本人は、何時から曲がったキューリや二股のダイコン・人参を嫌うようになったんだろう?

葉っぱに穴の開いたキャベツやほうれん草・小松菜を食べなくなってしまったんだろう?

はたまた賞味期限の切れた食材をまるで腐ったもののように捨ててしまうようになったんだろう?

食の安全を放棄して見栄えのいいもの、安いものを追い求めるようになったんだろう?

逆に言えば、曲がったキューリや二股のダイコン・人参を普通に買えればコストが下がり、葉っぱに穴の開いたキャベツやほうれん草・小松菜は安全の印、食べられないか又は味が変わっているかどうかは自分の舌、臭い、目等の感覚を研ぎ澄ませれば容易に判る筈なのに。

トコトコ農園は、そんな疑問を一人一人に投げかけているような気がします。



>> トコトコ農園 <<
「トコトコ農園」は安全でおいしい野菜作りを楽しむことを目標にしています。
ご興味、ご関心をお持ちの方は、何なりとお気軽にお問い合わせください。
メール:support@ganbare-nougyoujin.org