<<はじめに>>
所沢の魅力は、東京都心から1時間ちょっとで“里山”の風景に触れられることにあります。西は狭山湖、多摩湖一帯の狭山丘陵があり、東には「三富新田」や柳瀬地区の広大な畑があります。これらの“みどりの資産”は、これまでずっと都市化の波にさらされ、住宅や倉庫、商業施設や廃棄物処分場として侵食される一方でした。
先日、車でゴルフに向かう途中下富の新道を走っているとき、助手席の友人が「この辺りはまだまだ土地が余っているねー」というのでハッとしました。友人は畑がどんどん建物に変わっていくことを“良し”としているのです。「余っているのではなく食い荒らされているのになんてことを言うのだろう」と思ったのですが、私も所沢の農業を勉強する前は同じように考えていたことを思い出し、返す言葉に詰まってしまいました。
<<所沢の“みどりの資産”と市民運動>>
所沢の“みどりの資産”の保全に関して、狭山丘陵では市民による“トトロの森保全活動が大きな力となっていますが、農地については不耕作遊休地が増えているにもかかわらず保全のための市民活動は起こっていません。農地付帯の“ヤマ”と呼ばれる雑木林や屋敷林での市民参加型“落ち葉掃きイベント”は時々ありますが、それも参加者を募集したり下草を刈るなどの下準備に結構手間がかかるため、一部のやる気のある農家の活動に留まっています。
所沢市の北部に「くぬぎ山」という広大な平地林があるのをご存知でしょうか。所沢、狭山、川越、三芳の3市1町にまたがる約152ha(航空公園の3倍、西武ドームの36倍)の林は、かつて“関東で一番大きな武蔵野の平地林”と言われてきましたが、今ではその20%ほどが産廃施設や物流倉庫などに浸食されています。かつて、所沢市では産廃処理の規制がなかったため、所沢インターチェンジ付近からくぬぎ山の中まで80基もの焼却炉があり、東京から運んできた解体住宅の中間処分が行われ環境汚染が深刻な状況でした。
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今から16年前、1999年2月のTV朝日ダイオキシン報道により、所沢は大変な騒動となりました。それ以前からもとの環境を取り戻そうという市民運動はあったのですが、この騒動がきっかけで行政も市民も目覚め、産廃業者の締め出しに取りかかったのです。現在は、地権者や、住民、行政も参加した「くぬぎ山地区自然再生協議会」によって雑木林の再生に取り組んでおり、少しずつですがもとの緑を取り戻しつつあります。
(次回へ続く)
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