新玉の井の地図。緑が寄席から映画館に変わった玉の井館、青が啓運閣、赤が太郎次の家。太郎次夫婦は、わたしの実祖父母に看取られて相次いで亡くなった。
それから間もなく結婚したわたしの両親が、空き家になったこの家に住み込んだ。
「墨東奇譚」が世に出て数年後、昭和17年あたりのことである。太郎次の養女になっている母のところに、父が婿に入った、いわゆる両養子という形だった。
わたしの父は、神田須田町にあった「太田垣」という炒り豆の老舗で長年修業を積んだ炒り豆職人だった。自慢じゃないけど、まじめな働き者の上に腕も確かだったので、親方夫婦にはずいぶん大切にされていたそうだ。
とは言っても、そのころ豆は底をつきはじめていて、仕事をするにも材料の豆がなく、結婚したときはどこかの町工場で働いていたらしい。
が、所帯を持って3ヶ月目に赤紙が来た。南方の戦地を転々として、しまいにはどこかの島で捕虜になって1年、日本に帰ってきたのは戦争が終わった翌年、昭和21年の夏のことだった。
昭和10年ころ、太田垣商店、上野での花見の記念写真。まんなか坊主あたまの男性が親方。おかみさんはここには写っていないが、夫婦ともほんとうにいい人で、父が亡くなった後も、なにかとわたしたち母子の力になってくれた。5年ぶりに日本に帰ってみると、底がついていたはずの豆がびっくりするほど大量に出回っていた。軍の隠匿物資の豆が配給品として支給されたのだという。
父はさっそく仕事をはじめた。幸運なことに神田にあった太田垣商店も空襲を免れて焼けずに残っており、そこから必要な道具をわけてもらうことができた。
太郎次が掛けた「北川米穀店」の代わりに、「北川炒り豆店」の看板を掲げ、変形3畳の倉庫を仕事場に変え、米屋だった店に自分が作った豆を並べるガラスケースを置いた。
豆の種類は無数にある。落花生だけでも、殻付き、味をまったく付けない素炒り、塩味をしみ込ませた味付き、油で炒ったバタピーナッツ、煮詰めた砂糖でくるんだ落下糖などなど、その他に、塩豆、グリンピース、ソラマメ、大豆に黒豆。それぞれにいくつものバリエーションがあった。
いくら働いてもさばききれないほどの仕事があった。嗜好品というものが少なかった当時炒り豆は貴重なおやつで、父の豆は出来た順から売れてゆく。
自分の店だけでなく、父の豆を扱ってくれる小売店もどんどん増えていって、父と母は毎日目の回るほどの忙しさだったという。
わたしの古いかすかな記憶の中で、作業場の炉の中には、夏も冬もなく赤々と火が燃え、四六時中ガラガラと豆の炒る音が響き、板の間には豆をふやかすための桶がいくつも並んでいた。桶の端にかがんで、母が豆の皮を剥いていた。
太田垣商店の丁稚さん(父の同僚)こんな姿で大八車を引いて配達していた。
父の夢は、玉の井から出て、もっとちゃんとした町に本格的な店を構えることだった。
「ここはまっとうな人間が暮らすところじゃない」というのが父の口癖だったそうだ。けばけばしい化粧の娼婦と酔ったおとこたちがもつれ合いながらひっきりなしに行き来するようなところで、こどもたちを育てたくないと思っていた。
たった5年の間に、父はよそに店を構えるだけの資金を蓄えた。100万を超える金額だったそうで、当時銀行員の初任給が3000円、上級公務員が5000円くらいだったというから、換算すると3000万から5000万くらいになるだろう。
まだまだ土地が安い時代だったから、これだけあれば選択肢はいくらでもあった。
話が具体化し始めたのは昭和27年の初め、太田垣の口利きもあって父が目星をつけたのは、谷中の「谷中銀座」と呼ばれる古くからの商店街で、そこに恰好の売り物件が出たのだそうだ。
谷中は関東大震災や第二次世界大戦でも被害が少なく、昔ながらの町並みや建造物が残されていたところで、下町ながら落ち着いた雰囲気があった。
周辺には由緒ある寺社がいくつもあって、自然もそこそこ残っている。父にはまさに理想的な土地だった。玉ノ井の狭苦しさ猥雑さとは天と地ほどの差、父は大張りきりで何度もそこに足を運んでいたのだそうだ。
わたしが3歳で、母のお腹にはふたり目の子どもがいた。「北川炒り豆店」は順風満帆、わたしたち一家の未来は明るく輝いていた。
父は自分の夢の実現に倹約一辺倒の暮らしぶりだったそうだが、それでもわたしは絹の着物を着せられ、母の手製の白いレースの帽子を被せられて、お宮参りに行った。
2歳のお正月には銘仙のアンサンブルを誂えてもらって写真館で写真を撮ってもらった。
3歳のお祝いには赤いウールのワンピース姿で、飴の袋を提げて親戚参りをした。
おおかたのひとは着の身着のまま、食いつなぐのがやっとの時代だった。
が、しかし、運命の女神がわたしたちに微笑みを投げてくれていたのはそこまでだった。気まぐれな彼女はふいにわたしたちに背を向けてどこかに行ってしまい、二度と戻ってこなかった。