啓運閣の脇に掲げられた旧玉の井地図。赤丸で囲ったあたりが「ゴリラ原」だったそうだ。

だから、これは、もしかしたらそうだったかもしれないという仮定の上に立った仮定、「だからナンなんだ!」と言うだけの話ではある。ただ、こういう設定だったとしたら太郎次夫婦は「お雪さんのモデル」と懇意だったとは言わないまでも、顔見知りではあったろうと思う。
「お雪さんのモデル」があの通りを下駄を鳴らしながら歩いてゆく。姿顔立ちは山本富士子じゃあちょっと出来すぎですかね。もうすこしふっくらと柔らかみのある顔立ちの方がいいかな。
太郎次の店先で太郎次やタキの姿を見かけて、ついと立ち止まって声をかける。太郎次たちはこのときすでにかなりの高齢であった。
「おじさん、ご精が出るわね。おかげんはいかが?」
「お雪さんのモデル」の声に太郎次は顔をあげて、嬉しそうな笑顔を浮かべながら、店先に顔を出す。

「ああ、おかげさんで。米屋が重いものを持てないようになっちゃあおしまいだが、まぁ、年には勝てないから仕方ないや。
安藤さんのところに来たのかい。さっきふたりで出かけたから留守だったろう? なんでも親類に急病人がでたとかで、あわてて出ていったからそうすぐには戻ってこないかもしれないよ」
「そうなの、そりゃあ心配だわね。わたしのほうはたいした用でもないから、明日でも明後日でも」
「お雪さんのモデル」はこの太郎次のいかにも人のよさそうな柔和な顔つきが気に入っている。父親の顔は覚えていないが、きっとこんな人だったのではないかと思う。
おとっつあんがこんなふうに元気で長生きしてくれていたら、自分も今のような境遇に身を落とすこともなかったかもしれない、安藤さんから聞いたところによれば、この太郎次夫婦は早くにたったひとりのおんなの子を亡くしてしまったそうだ。子を亡くした親と、親を亡くした子と、どっちがより不幸だろうか。どっちもどっち、わたしのまわりには、なんだか不幸な人間ばかりが多いような気がする・・・。

太郎次はそんな不幸とは無縁のように、「お雪さんのモデル」にやさしげな笑顔を向けている。
「そういえばきのう夜遅く物書き先生がお見えになったがね」
「あら、うちには来なかったわよ。いやねぇ、ほかのどこかに行ったのかしら。いい年してけっこう足まめなのよ、あの先生」
「そりゃあ本をお書きになるのに、足まめじゃなきゃあ。あちこち話の種を拾って歩いていなさるんだろう」
「さぁ、なにを拾っているもんだか」
「あらまぁ、あんた、どこでどんないいもの拾ったのかい?」
ちょっと耳の遠いタキが、うす暗い店の奥から草履をパタパタ言わせながら走り寄って来て大声で話しかける。
「こりゃあ、とんだ欲深ばあさんだ」
太郎次のしわがれ声に、「お雪さんのモデル」の艶のある若々しい笑い声が重なって、店先が急に明るく華やいだ気分に包まれる。
「そりゃあそうと、私らには及びもつかないが、あのお方はずいぶんと立派なご身分の偉いひとらしいじゃないか」

「そうね、そうらしいわ。ほんのいっときでも、おかみさんにしてもらえないかななんて考えたりして、とんだお笑い草だった」
「お雪さんのモデル」は急にしんみりと声を落として口をすぼめながらうつむくと、きれいに結い上げた髷に挿した簪に手をやった。稲穂に見立てた金物の細工が、「お雪さんのモデル」の細い指さきでかすかに鳴った。
「いいお日和で」表通りの酒屋の若い衆が、眩しそうな視線を「お雪さんのモデル」のうなじに充てながら、ちりんちりんと自転車のベルを鳴らして通り過ぎて行った。
あの家の店先でのそんな光景を想像すると、どことなく懐かしいような楽しいような気がしてくるのでありますが、話は戦後の玉の井に移る。
前にも書いたけれど、昭和19年の大空襲で、旧玉の井は跡かたもなく焼けつくされて、数百人から1000人はいたという娼婦は銘酒屋の主人ともども、散り散りに姿を消してしまった。
そして戦後いろは通りを隔てて焼け残った片側には、旧玉の井と同じく、田んぼのあぜ道をそのままに、民家がぎっしり建ち並んでいた。
その半分は住民が疎開していて空き家になっていたそうで、その空き家に、焼け出された旧玉の井の銘酒屋や、あるいは新商売として銘酒屋稼業に目を付けた新参者が、つぎつぎと店を開きはじめた。
1年もしないうちに目新しく「カフェ―」と呼ばれるようになった銘酒屋が300から400も立ち並ぶ「新玉の井カフェー街」ができあがった。
好きこのんでこんな場所に住みはじめたわけじゃなかった。すこしでも空気のいいところ、自然が残っているところと思ってここに越して来たら、銘酒屋が建ち始め、いつのまにか日本一の娼婦街になって、それが、こんどはこちら側にまで押し掛けてきて、太郎次の家を飲みこんでしまったのだった。
旧玉の井ははじめから銘酒屋街として出来上がった町だったけれど、新玉の井は仮にも一般の住宅街だった。そこに銘酒屋が割り込んできたので、新玉の井には堅気の家がところどころ混じっていた。太郎次の家は銘酒屋街からいくらかでも外れていたからよかったものの、夜になると赤い灯青い灯がともり、あちこちの蓄音機から歌謡曲が絶えず流れ、そのまにまに「おにいさん、よってらっしゃいよ」という声が混じるその真ん中で暮らさなければならなかった家々の住人は、なんとも居心地の悪い日々ではなかったかと思うのである。