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農のある暮らし

2012年3月5日 更新

第4章 カネ・モノ・時間の使い方

活きたお金の使い方


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ホンダの創業者・本田宗一郎

金は貯めるものではなく使うものといいます。使ってなんぼといわれますが貯めてなんぼとは言いません。

老後に備えた預貯金やローンの支払いが終わった土地、建物といった資産は自分が死んだ時点できれいさっぱり使いきった状態が私の理想とするところです。

資産といってもたいしたものではありませんが、死後、そのわずかな遺産をめぐって残った子供たちが醜い争いをするのは見るに耐えません。死んだらどうせ見えないからいいじゃないの、というわけには行きません。人に迷惑をかけるのは翻意ではないからです。

金の使い方で最近興味深い事例をテレビ番組で知りました。

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本田宗一郎と藤沢武夫

山梨県甲府市は昔の「講」が現代まで引き継がれ、いまでも「講」が盛んな土地柄だそうです。

「講」とは江戸時代に盛んだった「お伊勢講」や「富士講」をイメージすれば理解しやすいと思います。当時の江戸庶民は大変な旅行好きで伊勢神宮や有名な全国各地の寺社詣でを理由に、旅行を楽しんでいました。しかし当時の旅行はたいそうな時間とお金がかかり、庶民には気軽に旅はできなかったのです。

そこで仲間を募り毎月、決められた金額を出し合い貯めたお金を使って旅行をしたのですが、貧乏な庶民が1年に貯める額はしれたものです。そこで毎年何人までと決めて、その人たちだけが全員の拠出金を使って旅行に出かけることができたのです。

誰が行くかは抽選で決めるのですが、抽選に外れてもいつかは必ず行けるような取り決めになっていました。

山梨県の「講」は「お伊勢講」や「富士講」とは少し違って、毎月ある一定の日と場所を決め気心の知れた同級生が集まり飲食の会を開いていました。「同級生講」とでも呼ぶのでしょうか、まず欠席する人はないそうです。「講」は職場やサークル、趣味の会などいろいろあって、一人で複数の「講」に属しているそうです。そのためもあってか山梨県の健康寿命(自立して生活出来る、介護がいらない寿命)は女性が1位、男性が2位だそうです。

「講」が生きがいになって元気で楽しい老後を過ごし、健康を保つ要因になっています。多くの市民が「講」でお金を使い、その金で地元の飲食店は潤い、お金がぐるぐるまわり地方都市によくみられるシャッター通りとは無縁だそうです。

また放送作家の永 六輔さんは昭和一桁生まれですが、こちらは「昭和一桁会」というほとんど何の制約もない組織をつくり、毎年末に1万円を事務局に振り込み、たまったお金は一切使わず、最後に生き残った一人が全額独り占めできるという規則だけが唯一あるのだそうです。絶対に最後の一人になるまでがんばる、という生きる気力に転化するのが狙いだそうです。これもしゃれの利いた「講」の一種です。

お金を融通しあう「無尽講」や「頼母子講」も江戸時代に盛んでしたが、金銭が絡むとその運営は複雑になり、よほどうまくやらないといろいろトラブルが出てきそうです。

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松下幸之助

そこでもっとシンプルに生臭くない金の使い方を考えてみました。

信頼できる友人5人が隔月の一定の日と場所を決めて集まり、飲食をしながら馬鹿話をして時間を過ごし、その場で1万円を拠出するとします。一人年間、飲食費以外に6万円を出すと、5人で1年間に30万円が貯まります。その30万円を抽選で一人の人が使う権利をもらいます。5年で平等に権利は一巡することになりますが、30万円の使い道は全く使う人の自由です。家族に気兼ねせず自分の趣味に投資する人、奥さんにプレゼントする指輪代に使う人、夫婦二人の旅行費用にあてる人、好きな競馬や宝くじに全額使いきる人、いろいろなケースが出てきそうです。

このようにささやかではありますが、小さな目標ができるので退職後、暇をもてあましてギャンブルや酒代に金が消えてしまうよりずっと前向きな金の使い方になります。

「講」は相互扶助目的で考え出された合理的な人をつなぎとめる優れたシステムです。

大きな範疇では「無人講」や「頼母子講」は現代のマネーゲームに似てなくもありません。

しかし決定的に違うのは例えば今はやりの個人トレーダーであれば毎日、パソコンの前に座り株価動向をチェックして売買を繰り返し、一人一喜一憂しているわけで、「講」のように人との交わりはありません。私に言わせればこういう大人はゲーム中毒に陥った子供と本質的に変わりません。

「無縁社会」、「孤独死」が問題となり、年間の自殺者は3万人を超える日本社会。どこでどうボタンを掛け違えたのか、日本の社会は確実に蝕まれています。

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東芝の土光敏夫

乾ききった人間関係、余裕の失った企業社会、モラル喪失、先行き不安な社会保障、履き違えた個人主義、一人歩きする個人情報保護法、機能不全の傾向が見えてきた社会統治機構、何も決めない、決められない政治と行政機構、日本社会全体が活力を失いつつあります。そのため優れたリーダー、力強いリーダーを待ち望む空気が流れはじめました。

司馬遼太郎の著作がいまでも読まれ続けてきたのはリーダー不在の日本社会の投影ではないでしょうか。

司馬遼太郎が描く明治維新を推進した人たちは確かに魅力的で力強いリーダーでした。武士を頂点とした階級社会を下級といえど各藩の武士自身が自己否定して階級社会をぶち壊した紛れもない革命でした。しかも世界史的な観点から見れば明治維新は稀有な「無血革命」でした。

司馬遼太郎の偉大さはこれまであまり知られてこなかった維新の立役者をクローズアップして、その評価をあらためて知らしめたことです。

しかし維新を直接的に成功に導いたのは各藩の下級武士階級でしたが、その背景に江戸幕府のお膝元の多摩、秩父で幕藩体制への不満、限界を見通した民衆による一揆、暴動が頻発していました。民衆による一揆、暴動は江戸近郊のみならず全国的な広がりで起きていました。このあたりの実情は司馬作品にも取り上げられてないと思われます。

この民衆の維新を先取りしたような動きに意を強くしたのが各藩の下級武士階級だったのです。世界史的にも稀有な「無血革命」を実質的に導いたのは実は名も無き民衆の動きだったのです。

21世紀に入り、世界は確実に大きな揺らぎに直面しています。

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元国鉄総裁・石田礼助

地球環境の激変、金融資本主義の限界、アメリカならびにユーロ圏の経済的な地盤沈下、それに代わるアジア、南米の経済的台頭による勢力地図の変化、そしてリーダーの不在。最後のリーダーの不在は特に日本は深刻です。小泉元首相以降の自民党の体たらく、そして国民の不安と不満の受け皿となった民主党の幼稚さ、特に菅直人前首相の東日本大震災と福島原発事故の対応のひどさは前代未聞の珍事です。歴代首相の中で無能さにおいて極めつけの人だったと思います。彼は責任を取って政治家を即刻やめるべきです。

話はあちこちの飛びますが、私が社会人になった昭和47年の翌年、本田技研工業の創業者で社長の本田宗一郎が社長を退任し、その10年後の昭和58年には取締役も退任しました。この時期、経営者や政治家の「出処進退」が世間の大きな関心ごとになっていました。「出処進退」とは身のふり方や身の処し方という意味ですが、当時は引き際のタイミングが一番難しいといわれていました。名経営者かどうかは見事な辞め方ができるかどうかが評価の分かれ目といわれていました。また同時代の名経営者、松下幸之助は昭和36年、経営者としては油ののった65歳のとき娘婿の松下正治に社長の座を譲りました。

名経営者の条件の一つは、よき後継者を育て、絶妙なタイミングで後進に道を譲ることです。本田宗一郎も松下幸之助もそれを実践した類稀で優れたリーダーでした。

ところが最近気になることは「出処進退」という話題がマスコミにもほとんど取り上げられないことです。

連綿と社長の座にしがみ続け、やっとその座を譲ったかと思ったら、今度は会長、次は顧問へと会社にしがみつく醜い老人がやたらと目に付きます。役人の目に余る天下りもしかりです。老害が官民問わずはびこっています。そしてこういう輩に限って自分は棚上げして「いまどきの若いやつらは・・」などとのたまうのです。

21世紀に入って世界は確実に変わりつつあります。かつて日本は世界から「経済は一流、政治は二流」という評価を受けてきました。しかし、その経済もズルズルと後退し、正社員につけない若者が増えています。年金の将来的な見通しは限りなく不透明で先行きが見えない不安に悩まされています。

こういうときこそ優れたリーダーが世の中の舵取りをしなければならないのです。

しかし、何時現れるかわからないリーダーを受身的にまつのではなく、いま一人一人ができる範囲で自らが思うことを実践に移すことが重要なのです。

世の中の大きな変動は「蟻の一穴」のごとく、まずは小さな動きを起こすことから始まります。





※本レポート中の写真と本文の内容は直接関係はございません。