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原産地はアフリカのカラハリ砂漠?


 スイカの原産地は、アフリカ南部のカラハリ砂漠周辺といわれています。栽培の歴史は古く、すでに紀元前4000年代のエジプトの壁画にはスイカが描かれています。しかし、当時は果肉ではなく、種のほうを食用にしていたと考えられています。

 やがてスイカは、ヨーロッパやアジアに伝播していく過程で、中近東や中央アジアの砂漠地帯で水がわりの飲料として果肉が珍重化されていきました。それが英語で「ウォーターメロン(watermelon)」と呼ばれるゆえんともいわれ、のちに果物的な用途として地中海沿岸やインド周辺で栽培が発達していきます。

 日本でも、江戸時代にはスイカを「水瓜」「夏瓜」と書いていましたが、時代とともに中国で西域から伝わった瓜の意味「西瓜」という表記が定着していきました。中国語読みの「西瓜(シークゥワ)」から、日本語の「すいか」という表音が生まれたとされています。



奈良の「大和」と千葉の「都」が二大品種系統


 スイカの日本への渡来は、17世紀半ばに中国から入ってきたというのが有力で、一説によると、1654年(承応3)に黄檗宗(おうばくしゅう)の祖・隠元隆g(いんげんりゅうき)が来日時に伝えたともいわれています。しかし、平安時代後期に鳥羽僧正覚猷(かくゆう)が国宝「鳥獣戯画」のなかで、スイカらしき物体をうさぎの持つ籠に描いているという見識や、室町時代の五山の僧・義堂が『空華集』でスイカと思われる詩の記述をしているなど諸説あり、正確な伝来時期は定かではありません。

 江戸時代当初、スイカは甘味が薄く、ウリのできそこないのようで、あまり歓迎されませんでした。江戸時代の書物『昔々物語』には、「町の露店で見向きもされなかったスイカは、寛文年間(1661〜1672)のころから身分の低い人たちが徐々に食べるようになり、だんだんと大名や貴族なども口にするようになって、いつのまにか結構な水菓子となるほど出世した」という意味のことが書いてあります。一般に外国から入ってきた珍しい食べ物は、初めは高貴な人びとのあいだで珍重され、時が経つにつれて庶民が食べられるようになって全国に普及するのが通例ですが、スイカはその逆のコースをたどったといえます。


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