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アクはパワーの源?


 一般に出回っている野菜はひたすら良い子である。第一印象重視、歯触りといい食味といいうちの自慢の息子、娘達だ。生でかじって“わあ〜、甘くて美味しいですね〜”とリポーターが連呼するような良い子ちゃん達ばかりなのである。しかし山菜は全く違う。そのまま口に放り込んで“あま〜い”等と甘い言葉は絶対に出ない、悪ガキそのものなのだ。

 悪ガキの悪ガキたる由縁はその強烈なアクにある。殆どは湯がかなければ食べられない。それどころか中には毒性の強い物もありへたをすると命に関わる。そこで様々なあく抜きの方法が考えられてきた。フグと比べるのも大袈裟だがひたすら食の可能性を追い求める人間の探求心には恐れ入る。

 阿仁ではフキノトウは山菜と認識されていない。地元民はこんな便所の裏に生えているような物には見向きもしないのだ。だから道ばたでせっせとフキノトウを摘む人がいたらそれはまずマタギ里の民ではない。かく言う私も最初の頃はフキノトウを喜んで採っていたがそのうち止めてしまった。山にはもっと魅力的で美味い山菜が有る事を知ったからだ。それからフキノトウは私にとって唯の草になったのである。

 しかしこのアクとはいったい何だろう。同じ種類の山菜でも生えている場所によっては結構な差があるようだ。例えば私にとって今や唯の草になってしまったフキノトウ。これも採る時に手やナイフがアクでべとべとになる時とそうでない時がある。これが場所に依る差なのか気候に依るものなのかは全く判らない。山菜でもこの地域にはあってあちらには無いといった場合がある。斜面の方角、地質、植生等何らかの理由でやはり差が生じるのであろう。面白い、山菜そのものが個性的なのにその生える地で更なる個性を身に付ける。

 「おらほの山のシドケは最高だ」

 「なーに、うちのアイコもうめぇもんだ」

 と、マイ山菜談義にも花が咲く。

 文字通りアクとは個性そのものではないだろうか。アクが強すぎれば美味いとは言いがたく、少ないと物足りない。人も山菜も同じようなものか。

 ドイツ人は肉を茹でる時にアクを捨てない。もったいないしそれも肉の味だと考えるからである。“さっぱりして癖の無い”が褒め言葉の日本の中で北東北の山菜は極めて個性的な食品と言えるのではないか。深い雪の中でじっと春を待つその秘めたエネルギーが東北人に元気を与えている。この味、お取り寄せではなく是非現地で堪能されたし。

>> 田中康弘 <<
1959年、長崎県生まれ。大学卒業後、カメラマンを志し、現在西表島から知床までの津図浦々を取材に飛び回る。「マタギ」をライフワークに、秋田・阿仁またぎの不肖の弟子を自称。
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