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馴染み深い野菜


 キャベツにはさまざまな品種があり、日本でキャベツと呼ぶのは葉が何枚も重なりあって球状になっている結球性のものです。キャベツは、だいこん・じゃがいもに次ぐ作付面積・収穫量(平成16年)を誇り、日本人にはとても馴染み深い野菜です。日本では「甘藍(かんらん)」や、何枚もの葉が巻き合わさって球になることから「球菜・玉菜(たまな)」という別名もあります。キャベツの仲間は多く、青汁の原料となるケール、花を食べるブロッコリーやカリフラワー、茎を食べるコールラビ、わき芽を食べる芽キャベツなどがあります。また、葉牡丹もキャベツの一種で観賞用に改良されたものです。キャベツを刻んで生で食べるのはほとんど日本人のみで、欧米ではザワークラウトやシチュー・スープなどに加工されて食されます。


日露戦争とキャベツの千切り


 キャベツは、地中海沿岸地方原産のアブラナ科の越年生草木です。現在のキャベツのもとになった野生種は結球しないタイプのもので、ゆるやかながら結球するキャベツは紀元ごろのイタリアで改良されたといわれています。しばらくイタリア・ギリシア周辺以外には普及しませんでしたが、10世紀以降になるとしっかり結球する品種が開発され、一気にヨーロッパ全土に広がっていきました。とくに冬場に葉物野菜が不足する北欧では、ビタミンCの供給源として欠かせない存在になりました。その後、キャベツは17世紀にアメリカへ伝わって多彩な品種が開発され、いまでは世界中でたくさん栽培される野菜になっています。なお中国へは、8世紀ごろに非結球性のものが、14世紀ごろに結球性のものが伝わったとされています。

 日本へは、約800年前に非結球性のものが大陸より入りましたが食用として定着せず、江戸時代にオランダより持ち込まれた結球性のものは「葉牡丹」として観賞用に発展したようです。現在のような食用としてのキャベツが日本に伝わったのは、幕末から明治時代初期のことで、当初は外国人居留地に滞在していた西洋人や船舶関係者向けに、わずかな量が栽培されたにすぎず、明治30年ごろまではあまり馴染みのないものでした。ところが、日露戦争の際に「せん切りキャベツ」が発明されると状況が一転します。せん切りキャベツは、東京銀座の洋食屋「煉瓦亭」(明治28年創業)の主人が、もともとカツレツの付け合わせに温かいものを添えていたのを、日露戦争で人手を取られてしまい、窮余の一策としてたまたま近くにあったキャベツをせん切りにして出したところ大ヒットしたといわれています。せん切りキャベツへの需要から相当数の品種が欧米から導入され、日本の風土にあわせて品種改良を重ねた結果、現在の周年栽培による大量生産・大量消費野菜の地位を確保しました。

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