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納豆のルーツ


 納豆の語源は、元禄年間に人見必大・元浩が著した『本朝食鑑』によると、寺の納所(台所)でつくられたことに由来すると記載されています。仏教思想によって肉食が禁じられていた当時の僧侶や檀徒にとって、納豆は貴重なたんぱく質補給源でした。現在われわれが一般的に納豆と呼んでいる「糸引き納豆」は、煮立てた大豆を稲のわらのなかに入れ、納豆菌で発酵させたものです。日本で糸引き納豆が発明されるまでは、京都の大徳寺納豆や浜松の浜納豆などに代表される、麹菌で発酵させ、塩水にひたして干した「麹菌納豆」(塩辛納豆、塩納豆、唐納豆、寺納豆、干し納豆などとも)が主流でした。麹菌納豆は糸引き納豆よりも長期間保存でき、色は黒くコロコロしていて味噌のような味がしたので、古くは調味料としても利用されていたようです。紀元前2世紀ごろの中国の遺跡から麹菌納豆が出土しており、日本へは稲作文化とともに伝わったと考えられています。文献としての初出は1050年ごろに成立した藤原明衡の『新猿楽記』で、好きな精進料理のひとつとして「塩辛納豆」が挙げられています。糸引き納豆が普及したのは室町時代前期ごろといわれ、当時の書物『庭訓往来』には納豆の調理法が、また調理書『大草家料理書』には納豆汁の扱いかたが記載されています。さらに御伽草子の『精進魚類物語』に、美濃国の住人として「納豆太郎糸重」なる人物が登場することからも、当時糸引き納豆が大衆化していたことがうかがえます。戦国時代には軍用食として重宝された納豆は、江戸時代中期になると商品化され、江戸の町を売り歩く納豆売りが登場するほど人気を博します。先の『本朝食鑑』では魚や鳥を加えた納豆汁の話が、正徳年間に寺島良安が編集した『和漢三才図会』では納豆汁のうまい食べかたが、天保年間に喜多村?庭(いんてい)が著した『嬉遊笑覧』では「たたき納豆(納豆汁の素)」の由来が紹介されています。現在では、ご飯に納豆をかける食べかたが一般的ですが、江戸時代までは納豆汁として食すほうが一般的だったようです。納豆汁は俳句で季語になるほど冬の味覚として親しまれ、寒中で納豆汁を口にするという食生活から、納豆が寒い地方に定着していったことが浅見できます。

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